退職にあたっての想い
本日約7年間勤務した大学病院を退職しました。
今後は前回のブログに書いている通り、関東の大学院に進学し公衆衛生学を専攻する予定です。
7年も同じ病院で働いたのは初めてなので喜び、寂しさ、懐かしさ、辛さ、悲しさなど色々な思いが込み上げてきており、今回は思いついたままにブログを書いてみようと思います。
病院の塀でワイルドなプレイすな!おっちゃん!
1.なぜ大学病院に再就職したのか
約一年間の海外放浪後、次の仕事のあてもなく地元である九州をフラフラしていました。
やりたいことも特になかったので知人の多かった関西の病院で働こうと思い、まずは派遣看護師の仕事に数ヶ月就きました。
派遣看護師の契約終了後、
・一度は大学病院で看護してみたい
・大学病院で行われる先進高度な医療を経験したい
・漠然と認定、専門看護師になりたいと考えた
という理由から現在の病院に就職しました。
2.大学病院で学んだこと
・経験
約1000床という地域の医療の中核を担う病院であり、今まで見たことのない治療や医療機器を体験することができました。
また、チーム医療の重要性を知り、一人では絶対に医療を提供することは不可能であることを再認識しました。良くも悪くも職場の中には色々な考え方を持った人がおり、自分の主張を押し通すだけでは社会を渡り歩くことも難しいことも理解できました。
学会で日々の看護についての考察、学びを発表させて頂いたのも自分の中で大きな財産になったと考えています。
・特殊な境遇の方々との関わり
また、日本の中でも特殊な地域である西成の住人に初めて接したのも大学病院に入ってからでした。
最初はカルチャーショックの連続でした🤯
こちらの説明やお願いが通じないことが当たり前な毎日で、いかにわかりやすく患者さんに治療や生活習慣の改善の必要性を説明する日々でした。
西成の方々と接する中で
・なぜ彼らは全国各地から西成に来て住み続けているのだろう?
・なぜ私たち日本人が当たり前のように行える公衆衛生活動(手洗い、うがい、片付け、清潔保持など)ができないのだろう?
・なぜ年が若くて病気もなく、働けるはずなのに生活保護を受給している人がいるのだろう?
※西成の方全員がそうではなく一部分の方のお話です
などの疑問が日々私の頭の中を駆け巡っていました。
入職当初は認定、専門看護師になりたいと漠然と考えていましたが、彼らと関わることで徐々に自分の気持ちが病院の外へ向かっていくのを感じるようになりました。
大学病院で働いた結果として、公衆衛生に興味を持ち、大学院に進学したいという一つの理由になりました。
3.これから
将来について明確なビジョンは決まっていません。
これから自分がどうなっていくのか全く想像がつきません。
しかし、大学病院で得た経験と患者さんから頂いた気づきは一生自分の心の中に留めつつ、勉強に励んでいきたいと考えています。
7年間ありがとうございました!