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底辺ナースすっとばす

10数年ナースとして働き、現在大学院在学中です。ワーキングホリデー経験、元バックパッカー。仕事、日常、旅行などを中心にまとめています。少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです!

山谷ボランティア体験記③

再び、山谷地区でボランティアに参加してきました

 先日、山谷で路上生活者や簡易宿泊所に入居されている方を対象とした方々へお菓子や衣服を提供させて頂くボランティアに参加させて頂きました。今回はこれで3回目の参加です。

 

 今回はそこで経験して得た考えをまとめてみようと思います。今回の活動では、割と時間に余裕があったため、各利用者の方々と長くお話することができました。幸か不幸か個人情報が分かってしまうくらい深めのお話をお聞きすることができたので、会話の詳細については省いて考察部分のみ記事にしようと思います。

 

 何気に山谷のことや生活保護の記事は閲覧回数が他に記事に比べて多いため、たくさんの人の目に触れているのだなぁと感じています。毎回、個人的な意見で賛否両論あるかと思いますが、いつも私の拙い文章を見ていただき感謝しています。

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山谷への道中

 今回もJR南千住の駅で下車し、山谷地区へ向かった。目的地までは徒歩で10分程だがここ数日気候が涼しく、道中快適に向かうことができた。思えば初めて山谷に行った季節は湿度高めの真夏だったため、道中滝のような汗を書きながら歩いたのを覚えている。

 泪橋を超えると山谷地区だ。サドルが破れてビニール袋で補強された自転車、木造の長屋、歯のないオッチャンなど。仮に、何も知らない人が山谷に足を踏み入れたなら、ここは本当に日本の首都東京なのか?と思うかもしれないなぁ...とか考えつつ目的地に到着した。

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ボランティアに参加しての様々な考察

  • 路上生活者のニーズは何?

 昔路上生活をされていた方からのお話より、路上生活中に困ったこととして入浴、食事、衣服の確保などが挙げられていた。人間が最低限生活するためにはこれらは必須である。路上生活中は資金に乏しく、基本的なものでも調達が難しいのだと改めて分かった。確かに今回のイベントに来ている利用者の多くが、衣服や入浴などのサービスを受けに来ていた。

 今回のCOVIDー19の影響で、当面の生活を送ることができないために、生活保護を受けることになった路上生活者が少なからずいると聞く。この現実だけを客観的に考えると、やはりお金が必要なのか?と邪推してしまうが、お金以外の何か必要なものがあるのでないかとも感じた。

 

  • 路上生活者が考える福祉(生活保護)についての考えと私の考察

 生活保護を受けるかどうかは人それぞれ。中には生活保護を受けたい人もいるしそうでない人もいる。その中で、生活保護を受けたくない理由は様々である。事情は漠然と察することはできるが、その理由を深く追求することに意味は私はあまり感じなかった。

 なぜなら、人間個々に尊厳や権利があるのであれば、生活保護を受けない権利もあるからである。私たちの暮らす日本において人間は自由なのだから、自分の責任で生活できる範疇においては好きに生きればよい。しかし、生活保護を受けていない路上生活者が、仮に生命の危険を目にしたときには一人の医療者として助けたいと私は思う。

 

  • 人との繋がり

 生活保護を受けて、路上生活を脱した方もボランティア活動などを通して何らかの社会とのつながりを持っていることも分かった。

 彼らは行政や支援団体に頼まれて事業を手伝っているという。「頼まれたから、暇だから」という言葉の中にはどのような意味があるのであろう。

 私なりに考察すると、人は一人では生きていけないし、誰かと繋がっていたいと思う気持ちを誰しもが持っている(と私は信じている)。そんな気持ちがあるからこそ、彼らは様々な活動を通して社会とのつながりを持っているのではないかと考えた。

 つながりを維持するという意味でも、支援団体が運営するイベントは多くの路上生活者にとっても社会とのつながりを実感できるソーシャルキャピタルになっているのである。しかし、COVID19のためにイベントの規模は小さくなり、利用者同士で会場内では親睦を深めることができないため、社会とのつながりを感じる時間や機会が少なくなっている。利用者にとっても潜在的に寂しさ、悲しさ、怒りがあるのかもしれない。

 COVID19の早期の終息を願うとともに、これから冬を乗り越えることになる路上生活者の健康状態や生活を彼らの迷惑にならない程度に見守る必要がある。

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生活保護のお話

生活保護について調べる理由

 医療者であればほとんどの人が出会ったことであるであろう生活保護受給者。現場で出会う彼らは生活習慣を改善せず何度も病院のお世話になったり、時に横柄な態度を取ったりと…おそらく、私を含めたほとんどの医療者それぞれが彼らに対して何かしらのイメージを持っているのではないでしょうか。しかし、ここ数日、山谷で活動をしている間に肝心の生活保護制度について、詳しく知っているわけではないことに気づきました。今回は、生活保護制度についてまとめてみたいと思います。

 

社会保障の中の生活保護制度

 高齢者、低所得者、妊産婦、障害者など様々な人が生活しており、全ての人が「社会保障」を受けながら生活しています。「社会保障」は大きく3つに分類されます。年金や医療保険などの「社会保険」、障害者や高齢者などを支える「社会福祉」、生活困窮者などに対して最低限度の生活を送ることを支える「公的扶助」の3つです。生活保護制度は「公的扶助」に該当します。生活保護は法的に生活保護法に基づいて行われています。

 生活保護制度は自らの資産や能力全てを活用しても生活を維持できなくなった世帯に、国の責任において「最低限度の生活」を保障し、自立を助ける制度です。「社会保険」などを受けてもなお、生活に困窮している人を対象としており、最後のセーフティーネットとも呼ばれています。

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生活保護の種類

 生活保護は8つの扶助で構成され、必要に応じて1種または複数の扶助の組み合わせによって給付されます。

扶助

内容

給付形態

医療扶助

治療費・入院費

現物

介護扶助

介護サービス

現物

生活扶助

衣服や光熱費など生活に必要な費用

現金

教育扶助

義務教育に必要な学用品費用

現金

住宅扶助

家賃など

現金

出産扶助

分娩に必要な費用

現金 

生業扶助

職業技能習得費用など

現金 

葬祭扶助

葬祭に必要な費用

現金 

 それぞれの扶助には国が定めた基準があり、支給額などは世帯構成や年齢、地域差によって設定されています。

詳しくは厚生労働省HPに記載されています。↓

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/seikatuhogo/index.html

 

生活保護の申請方法

 各自治体の福祉事務所と呼ばれる窓口で申請が可能であり、申請自体は誰でも可能です。福祉事務所は一旦申請を受理し、預金・能力・あらゆるもの・扶養義務者などといった生活状況の調査を行い、必要かどうかを判断します。必要と判断されれば、申請者の生活状況に応じて支援が行われる流れとなっています。

 

生活保護の現状

 2020年6月現在、被保護実人員(生活保護を受けている人)の総数は2,055,531人で、保護率(人口百人当たり)1.63%です。

その内の約半数が高齢者世帯です。(約54%)

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厚生労働省HPより作成

 

被保護者数の推移から見えること

 被保護者の総数は増えています。これは一体何を意味するのでしょうか?

 高齢化に伴い、年金を儒教できない高齢者世帯が増加し、若年世帯が高齢世帯を支えることができなくなっていることが要因に挙げられています。今後も、高齢世帯数は増加していくため、被保護者数は増加していくことが予想されます。

 生活保護については、不正受給や貧困ビジネスなどの問題もあり、様々な意見や批判があると思います。しかし、現実に日本社会は益々高齢化が進行し、被保護者は増え、批判だけでは彼らを支えることができないと思います。大事なことは、

①必要な人には生活保護を受けてもらうこと

②不正受給など社会通念状悪事を働く人には受給を停止するシステムを構築すること

③社会に生きる人々が、生きていくことに困難を感じる人が現実にいるのだと認知し、支える気持ちを持つこと

が必要であると思います。ほとんどの人が力を持たない「持たざる者」である現代ですが、日々の努力と思いやりが積み重なれば、世の中を変えていく原動力になるではないかと信じています。(信じたい)

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 参考文献

1.公衆衛生が見える2018〜2019,medic medica

2.絶望しないための貧困学,ポプラ新書,大西蓮

3.厚生労働省ホームページ

 

 

 

 

 

 

山谷ボランティア体験記②

再度山谷へ

 路上生活者を支援しているNPO法人の活動に参加させてもらうべく、再び山谷に赴いた。最寄りであるJR南千住駅から歩いて山谷まで向かう。駅周辺はどこにでのあるような住宅街であるが、少し歩くと簡易宿泊所や労働福祉センターなど周辺の街にはない雰囲気を醸し出す一角がある。ここがいわゆる山谷地区である。

 実は山谷という名称は現在公式には使用されていない。現在、かつての浅草山谷1 - 4丁目は現在の清川・日本堤の全域、および東浅草2丁目に該当しており、通称として「山谷地区」と呼ばれている。(Wikipedia 参照)

 今回のブログは私の完全な主観を交えて記しているため、一般的に当てはまるものではないことを最初に断っておきます。

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今回の業務内容

 今回、お世話になったNPO法人では通常、訪問看護デイケアサービスを行なっているが、第1・3土曜日は地域の住人(路上生活者、簡易宿泊所入居者、その他)を対象として喫茶・お風呂提供サービス・カラオケ大会・衣類やお菓子の提供などのイベントを開催し、路上生活者同士が情報交換できる場所を提供している。しかし、新型コロナウイルスの影響で、現在は喫茶形式でのイベントは開催できず、お風呂・衣類・散髪・お菓子の提供のみ行っているとのことであった。

 会場に到着後挨拶を済ませ、会場の設営を行った。感染症の伝播予防のため、椅子や机などの配置にも気を遣う。そうこうしている内に、開場の前に住人が行列を作り始めた。主催者によると、イベントにやってくるほとんどの人が路上生活者だという。我先にと入場してくる人々を静止し、検温・受付、お菓子券の配布、入浴・散髪の予約を行う。

 各スタッフの業務は受付・誘導・検温・お菓子配布・衣服提供・散髪係であった。私は検温と散髪の業務を主に行った。ある程度住人が帰宅すると、会場の清掃を行い、全体ミーティングを行った。ボランティアに参加した人の内訳は団体の職員・地域の住人・私のような野良ボランティアなど様々な方が参加していた。

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イベントの参加者の雰囲気

 来所された参加者の年齢は40〜70歳代で主に高齢な方が多かったように思う。会場に入るなり風呂に突入する方、衣服を求める方、椅子でゆっくりする方、スタッフとお話する方、袋(しっかりした袋)を求める方など様々であった。私の主観的な印象であるがほとんどの方が優しく、礼儀正しい方であった。稀に指示に従わない方もいたが、基本的に傾聴する姿勢で対応しトラブルなどはなかった(私自身このような方への対応方法については西成で身につけたため、ある程度訓練が必要であるように感じた)。総じて前回のボランティアで体感したように一般社会の方々と同じようなオッチャンであった。むしろ、人懐っこさなどあり、概ね好印象であった。

 

職員の方のお話

 参加されていた団体職員の方々から色々お話を伺うことができ、山谷の現状をいくらか垣間見ることができた。以下、お話の内容を簡潔に記す。

  • 喫茶形式のイベント開催が困難になり、参加者が減少している。それでも、参加してくれる方々のためにもイベントを中止することは考えていない
  • 新型コロナウイルスの影響で、各団体がpう事業は縮小さざるを得ず、路上生活者の生活や健康問題に何か悪影響が起きる可能性が懸念されたが、現場感覚ではそれらの悪影響は感じることができない。
  • 感染対策を守りながら、これまで通りの支援を提供していくことが必要である。イベント開催にあたっては、支援する側だけでなく、参加者側の感染対策への協力が必要であるが、参加者に感染対策を守ってもらうことが難しい場面がある。今回の、イベントの合間にもソーシャルディスタンスの保持、手指消毒の徹底などの課題が散見された。人手は足りないので協力してくれるボランティアの存在はありがたい。
  • イベント参加者に感謝されたくて事前活動を行っているのではなく、我々も楽しいからこのような活動を行っている。

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感想とかこれからの課題とか...

 路上生活者を対象としたイベントに参加し、職員の方やイベント参加者の方々とお話することができた。新型コロナウイルスコロナの影響で何かしらの健康問題が発生しているのではないかと考えていたが、現場レベルの感覚においてはそこまでの危機感は持っていないということは意外であった。そもそも、路上生活者にとって世間の大きなニュースは彼らの耳に入りにくいし、気質的に社会のルールを守ることが難しい人もいることを理解しておく必要がある。

 では現状の支援において上手くいっていることは何であろうか?団体の職員様のお話ではこれまでの活動は路上生活者にとってニーズがあり、新型コロナウイルスの影響で支援が中止になった時には、再開を望む声があったという。このことから、路上生活者を対象とした支援はこれまで通り継続していくことが必要ではないかと考えた。

 さらに、今回出てきた疑問として、簡易宿泊所に入居している生活保護受給者は新型コロナウイルスの影響によって健康問題は発生していないのかと考えた。仮に、生活保護を受給していれば一定の収入があるため、失業し収入がなくなった方々(例えば非正規雇用労働者やネットカフェ難民など)と比べ、さほど生活に支障は出なかったのではないのであろうか。この辺りは更なる調査をしていくこととする。

 さて、各支援の継続が必要ではあるが、コロナ禍の中でのイベントの開催にはある程度の配慮が求められる。例えば、イベント開催時のソーシャルディスタンスの保持・手指消毒の徹底などの感染対策の周知徹底、イベント運営人員の確保、必要な物資の取得などの課題があるのではないかと考えた。イベント終了後の全体ミーティング時に、お店のレジ前にあるような床に印などをつけてソーシャルディスタンスの保持を行って頂いてみてはと提案したみた。次回参加した時に今回考えたことを実行してみようと思う。

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山谷ボランティア体験記①

山谷とは(wikipediaより)

 山谷(さんや)とは、東京都台東区北東部にあった地名。現在の清川・日本堤・東浅草付近を指した。一時期、遊郭が置かれたことから、吉原遊郭を指す場合もあった[1]。安宿が多かったことから労働者が集まるようになり、東京都台東区荒川区にある寄せ場(日雇い労働者の滞在する場所、俗に言うドヤ街)の通称(旧地名)として使われる様になった。交通の便がよく、格安ホテルがあることから、2000年代以降は、バックパッカーを含む訪日外国人の宿泊地としても人気を集めている。

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城北労働・福祉センターへ

 今回、山谷で20年間活動している訪問看護ステーションが主催する路上生活者、生活保護受給者を対象とした健康相談にボランティアとして参加させて頂いた。ステーションのスタッフの皆様に挨拶を済ませ、自転車をお借りして城北労働・福祉センターへ赴いた。

 労働・福祉センターの外観は綺麗に塗装され、大阪のあいりんとは全く違う雰囲気を醸し出していた。建物の地下へ案内され、地下の娯楽室へ行くと多くの利用者がいらっしゃった。聞くところによると、福祉センターは新型コロナウイルスの影響で2ヶ月閉鎖されており、多方面から早期の再開を願う声があったとのこと。福祉センターが再開された後、健康相談を再開したとのことであった。

 その話を聞いて、再開を願うほど、この地域にとって必要な施設であることは分かったが、皆が福祉センターの再開を願う理由が何なのか気になった。

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健康相談の内容

健康相談に参加する職種は医師、看護師であった。健康相談の業務は

・希望する利用者の健康チェック(体温、脈拍、血圧測定など)

・利用者との雑談

・希望する利用者に対する受診勧奨と医療資源紹介

・希望する利用者へ風邪薬などの市販薬の配布(1日分程度)

などであった。

 

私が感じた利用者さんの雰囲気

 椅子に座って静かにテレビを見ている人、熱湯を使ってカップラーメンを食べている人、ほのかに酒の匂いを漂わせ健康相談に来る人、身体の不調を訴えている人、寝ている人、本を読んでいる人など各々自由な過ごし方をされておられた。福祉センターを利用している人はほとんどが生活保護受給者、路上生活者とのことであった。主観的な印象ではあるが、これまで西成で看護をさせて頂いていた患者さんと同じように、ほとんどの人が穏やかで人懐っこく感じた。

 

健康相談に参加された医師のお話

・ここ数年路上生活をしている人数は減っているが、リーマンショック時などは一時的に路上生活者や支援が必要な人が増えた。

新型コロナウイルスの影響でこれから支援が必要になる人が増えることが予想される。実際に新宿や池袋などの都市部では若い非正規雇用労働者が増えてきている。しかし、現状では山谷では大きな変化は見られない。

・福祉センターや支援者の元に来てくれる人々はまだ状態が把握できるが、中には支援者の前には姿を現さない人もいる。姿が見えない人の支援は簡単にはいかない。(女性の路上生活者、引きこもりなど)そのような人へのアプローチは熟練した支援者でも難しいとのこと。自分の中で課題として大きく心に残った。

・路上生活者は日本国内の難民と思って支援しなければならない。

・海外の国連の難民キャンプなどの施設の方が日本の路上生活者支援施設より設備は整っている。

 

その他の山谷の施設見学

 健康相談の合間に自転車をお借りして、山谷のドヤ街や施設を見学させて頂いた。ドヤ街と一口に言ってもオーナーによって経営の方針や入居者への関わり方は異なるとのこと。見学させて頂いた施設はオーナーが、入居者の健康を気遣い、異常があれば医療者につなげるということをされていた。ドヤの室内は3畳一間で布団・エアコン・テレビが設置されていた(喫煙可)。

 その他に、癌の末期の方などを看取るためのホスピスなども見学させて頂き、地域ですべての住人を最期まで見届ける活動の一部を見ることができた。街を歩く人は若者、子連れの夫婦、高齢者、酒を飲んでいる人など皆が共存して暮らしている様子であった。

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健康相談を体験して感想

 今回、健康相談のボランティアに参加して、実際に福祉センターを利用している人の数名と関わることができた。体験の中で、利用者の方々の言動から生活する上での信念のようなものを感じとることがあった。

 利用者のほとんどは何らかの理由があって、山谷に住んで路上生活をしたり、生活保護を受給している。ほとんどの人は自ら望んでそのような状況に陥っているのではない。彼らを取り巻く社会が影響していることを実際に利用者と触れ合うことで感じた。

 公衆衛生を学ぶ身として、社会を変えるためには何ができるのであろうか。少なくとも現時点で自分にできることは彼らのような人々の声を聞き、少しでも多くの人に彼らの声を届けることではないかと感じ、山谷を一旦後にした。

 またここに戻ってきたいと思いました。

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社会のマイノリティーを気にすること

社会の中の少数派(マイノリティー

 私たちの生活する社会には様々な人々が暮らしています。メディアなどの媒体では多数派(マジョリティー)である集団のことを対象に取り上げることが多いと思います。そのため、私たちは少数派(マイノリティー)の集団のことを知る機会は少ないです。 

 

 社会の中のマイノリティーにはどのような集団がいるのでしょうか?

 私が考えるマイノリティーの集団を列挙します。

 

生活保護受給者

②在留外国人

③母子(父子)家庭

④何らかの障害を持った方

⑤大規模災害による被災者

⑥虐待を受けている子供

⑦高齢独居世帯

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社会的弱者って

 ①〜⑦の集団は「社会的弱者」と呼ばれることが多いです。そして、様々な要因のために、社会から孤立した存在になりがちです。孤立は様々な健康問題を誘発し、健康格差を拡大させることにつながります。孤立を防ぐために、地域に住む我々ができることを考えていかなければならないのではないでしょうか。

 

 さらに、彼らに対して「社会的弱者」という安易なレッテル貼りは危険です。このような決めつけは差別や偏見を生み出す原因となります。私も昔は「生活保護は悪、若くて働けるのに働かないやつはダメだ」と決めつけ、一種の偏見を持っていた時期がありました。言い換えれば、彼らは個人の責任で、マイノリティーの集団に存在すると決めつけていました。

 

 近年の社会疫学研究において、生活保護といった社会的弱者は個人の要因よりも社会環境の要因が大きく関わっていることが分かってきました。すなわち、周囲の環境が人の健康行動と関係しており、結果的に所得や病気の発生率、死亡率の増加に関与しているということです。

 

これから私たちができること

 そのため、問題を抱えた集団に対するハイリスクアプローチも重要ですが、社会全体の生活環境を整えていくことが有効ではないかと考えます。マイノリティーの集団だけでなく、社会全体にアプローチしていくという考えが必要になります。社会全体が関わる政策、例えば小児の医療費無償化などが分かりやすい例だと思います。小児の医療費無償により、貧困層などの健康ハイリスクの集団は病院へのアクセスがしやすくなります。結果として、社会からの孤立を防ぐことにつながり、子供の健康悪化を予防することができます。

 

 こういった社会全体へのアプローチを行うことで、医療者や地域の専門家は彼らを注意深く観察し、少しでも異変を探る機会を持つことができます。必要と判断すれば、彼らに対して訪問相談などの追加のアプローチをすることが可能となります。このような、アプローチの手法をこれから学んでいくことが必要だと考えます。

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自分のOriginを持て

自分のorigin(起源、原点)持つこと

 やらなきゃあかん、でもそれができない。人間モチベーションが下がる時は必ずある。そんな時僕らはどうしたらいいのだろう?私の場合、そんな状況に陥ったとき、ある思考法を試すことにしている。それは、自分のorigin(原点、起源)を定期的に思い出すことである。

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originとは

 originとは、自分が今にいたるまでの経験、課程、結果などが複合的に絡み合った概念だと考える。例えば、故郷・家族の存在、宗教、学生時代の経験、旅行で得た経験、仕事での実績など、これまでに自分に関わった全ての存在や経験などから生まれた、何があっても崩れない価値観や信念、主張であると思う。言い換えれば、自分の存在を肯定するものである。

 

なぜoriginが必要なのか

 なぜ、originが必要だと思うのか?例えば、自分の価値観を揺るがしかねない状況に陥った時、何も自分を守る考えがなければ、自分の存在が脅かされてしまう恐れがある。場合によっては社会的な地位を失ったり、精神的な病気にかかってしまう可能性もある。もしかしたら、自分の生きてきた人生そのものを否定されるような感情を覚えてしまうかもしれない。

 しかし、何があっても揺るがないoriginがあれば、

①なぜ自分が今の状況にいるのか

②今自分がやるべきこと

③自分にしかできないこと

などを振り返ることで、自分の行動がブレないようになる。もちろん、他人の意見を聞くことは人間の社会においては重要である。頭ごなしに、自分の考えを変えないことは適切ではない。

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まとめ

 私はこれまで、様々な場所を転々とし、時に他人と意見がぶつかりながら、何度も自分の考えがブレそうになったことがある。そんな時は自分のoriginを必ず思い出すことで、現在の状況に至るまで考えが一貫して行動することができている(と思う)。それが良かったのか、悪かったのかを今は評価することは難しい。それでも、自分の人生に迷った時、originを大切にして行動していこうと思う。

 

貧しいということ

 昔から貧困問題に興味のあるブルーベリーです。

 

なぜ貧困に問題を感じたか 

 大阪で看護師として働いていた時も、様々な生活保護受給者、非正規雇用労働者、ホームレスの方々と関わらせて頂いておりました。働く中で、彼らのような社会のマイノリティと呼ばれる人々の健康行動や生活習慣について問題意識を感じておりました。何か自分にできることはないかと、公衆衛生大学院に入学し勉強中です。

 

 大学院にて健康格差について勉強し、日本の中の貧困の問題に益々問題意識を持つようになりました。そこで、貧困とは何か、私たちにできることについてまとめてみたいと思います。

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貧困の分類

 貧困には大きく分類すると2種類の「絶対的貧困」と「相対的貧困」があります。

 

絶対的貧困

 絶対的貧困はグローバルヘルス(国際保健)などの領域で取り扱われる、いわゆる発展途上国で絶対的な所得の低さによる起きる貧困です。例えば、「アフリカの国で何分に1人子供が亡くなっています」など、メディアでよく取り上げられる貧困が絶対的貧困に相当します。食糧、衣服、水など生活を維持する上で絶対に必要なものが手に入らない状態であると思います。そのため、絶対的貧困も、人類にとって最重要の課題の一つです。現在、様々な人々の努力で少しずつではありますが、発展途上国における絶対的貧困層の率は下がりつつあります。

 

相対的貧困

 一方で、先進国と言われる国で発生しやすいのが相対的貧困です。先進国においては資本主義経済による競争が必ず起きます。そのため、低所得、高所得の集団が生まれ、所得格差が生じます。

 

 所得の格差は様々な問題を引き起こします。低所得の定義は年収122万以下とも言われていますが、各個人それぞれの生活する社会の中において周囲と比較した収入の違いがあり、一概にそうは言えないと思います。 

 

 これまでの先行研究において、所得の格差は健康の格差を生じさせてしまうことが分かっています。周囲と比較して所得の低い層はそうでない層と比較し、死亡率や生活習慣病の発生率が高くなります。確かに、以前働いていた病院に入院する生活保護者や非正規雇用労働者の方々は基礎疾患に糖尿病や肥満などを抱えていることが多かったように思います。低所得の集団では喫煙や過剰な飲酒などをしている人々が多く、各個人は周囲の環境に追随してしまうために、自ずと健康に悪いと思われる行動を選択してしまうのではないかと考えます。

 

 また、人間の心理として、他者と自分を比較してしまうことが知られています。そのため、相対的な貧困は「どうしてあの人より収入が少ないんだろう」「あの人はいい暮らしができて羨ましい」といった、自分を卑下してしまう精神的なストレスを産み出してしまいます。精神的なストレスはうつ病などの精神疾患のリスクを高めるとともに、医療へのアクセスも遠ざけてしまう要因になってしまうことが分かっています。確かに、もし自分が周囲と比べて暮らしぶりが悪ければ、自暴自棄になってしまう気持ちは分からなくもないなと感じました。

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私の考える問題意識

 日本においては絶対的貧困が問題になる時代はすでに過ぎ去り、相対的貧困に対するアプローチが必要です。私の考える相対的貧困の対象は

  1. 生活保護受給者
  2. 在留外国人
  3. シングルマザー(ファザー)世帯
  4. 虐待を受けている子供
  5. ホームレス
  6. 災害による被災者

などです。これらの人々は政治や行政、民間組織からは見過ごされがちになるような社会の中ではマイノリティと呼ばれる集団にあたります。そのため、「そんな数の少ない集団に介入しても多数派の集団に意味はあるのか」という反論を頂くことがあります。しかし、社会のマイノリティーの集団における健康問題は、多数派である集団の健康に大きく関わるのではないかと考えます。実際にそのような関連性を示唆した先行研究も出てきています。

 

 これらの問題を少しでも解決できる専門家になれるように、これから勉強していこうと思います。

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